日産救世主というより新しい経営者としてカルロス・ゴーン氏が就任、またデザインの責任者である中村史郎氏がいすゞ自動車からヘッドハンティングされ、経営戦略的デザインが企業変革の大きな軸となった。当初、リバイバルプランの中で、海外・国内数社による方針コンペが、次いでデザインコンペが行われ、プロセスではいろいろ紆余曲折もあったが、最終的にPAOSが依頼を受ける。PAOSは日米欧そして中国における基本的なVISのデザインシステムと管理システムの開発を行い、日産は諸策の成功相まって奇跡の蘇りを見せていくことになる。