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沿革 2000年代

  • PAOS前史(1960年代)
  • PAOS設立〜1970年代
  • 1980年代
  • 1990年代
  • 2000年代

'00

2000年〜
株式会社ワールド・グッドデザイン設立

「真の成熟社会、尊敬される文化大国の確立をデザインから始めよう」との提唱に多くの出資者を得て、World Good Design(WGD)を設立。この新組織の基本は、世界各国に数多くあるグッドデザイン表彰制度の21世紀以降の主要情報を収集・データバンク化し、これをアーカイブスとして発行し教育や企画のための資料に供する、という活動にある。加えて、生活者の衣食住の中に世界の優れたデザインの導入を促進し、普及を図る使命を果たし、加えて、わが国のクラフトデザイン作品等を国内および海外に敷衍していくという目標も掲げ、美的生活水準の向上と共に新しいデザイン運動の展開を目指している。
ここでは、デザインを送り手側の企業やデザイナーの世界に留めるのではなく、広く受け手のデザイン意識や美意識の向上を図るとの意図から、会員を「デザイニスト(デザイン主義者)」と呼んでいる。デザインという社会的インフラを一部関係者の内に留め置くのではなく、広く生活基盤化していくことを指針としている。

'01

情報化時代の新たな出版形態を提案「創る魅せる超える」刊行

「創る魅せる超える」(きこ書房刊)では、文章は本で読み、カラー図版はWebで見るという新方式を採用している。この方法は、広く普及はしていないが活かしようによってはかなり面白い可能性を持っている。読者は安価でテキストを購入し、豊富なカラー図版を必要に応じてネットで閲覧。一方著者側は、リリース後も図版を自由に差し替えていくことが可能であるし、場合によっては動画も提供できるという利点を持っている。
この著作は丁度21世紀になった時点で上梓したものであり、内容には中西の活動や考え方の基本となる論点がふんだんに盛り込まれている。

行政改革や経済活性化対応のプロジェクト

中央省庁の改変により経済産業省より独立行政法人として誕生した、日本貿易保険 (NEXI)製品評価技術基盤機構 (NITE) のVIプロジェクトを手掛ける。これも新しい行政改革の動きであった。加えて、5年の期限付き国家プロジェクトとしてスタートした、産業再生機構(IRCJ)に関わるいくつかのプロジェクトもこの時期の特色ある事例である。

デザイン戦略で大成功「山口きらら博」

21世紀を迎え、わが国では福島・北九州・山口の3カ所で同時に地方博覧会が開かれることになった。下馬評では山口博は集客が最も難しいであろうと言われていたが、その山口きらら博のシンボルマーク公募時の審査委員長を務め、次いで同博覧会のデザインアドバイザーに就任。徹底したデザイン戦略の導入・啓蒙・展開を図った。依頼されるままに公式ポスターのデザイン制作まで引き受けることになったが、片岡鶴太郎さんのイラストと書を活かした2枚組のポスターは大好評となり、予定されていた公式ポスターがつくられることなく、これが最後まで使い続けられることとなった。加えて、制作物における徹底したデザインの品質管理・指導なども行った結果、終盤では一日の入場者が北九州博の3倍にも達し、結果としてこれまでの地方博最高の入場者数と黒字額を記録した。

'02

自治体活性化の画期的成功事例「豊後・大山ひびきの郷」

大分県大山町は、熊本県・福岡県と県境を接する山奥の町である。進歩的な一村一品運動発祥地としても有名な所だが、この町には宿泊施設が一つも無かった。そこで、町がハード先行の建設を進めていたのだが、中西の福岡の友人;真田彬氏が三苫善八郎町長と出会い、ここはPAOSに依頼しCIを導入するべきではないかと提言。プロジェクトが突如スタートする。
PAOSは、木村明彦氏の協力を得て開発にあたる。地元の若手が作り上げていた地誌の中から28種の動植物を選択し、これらを組み合わせた地場振興の象徴のようなシンボルマークを開発(デザイン:新村則人氏)し、Visual Identityを確立・展開。まるで温泉銀座のような集客激戦区のまっただ中に「豊後・大山ひびきの郷」とネーミングしてオープンしたこの施設は、初年度の年間集客目標を5ヶ月で達成。このプロジェクトは、地方の時代を代表するような典型的成功事例となってくれたが、町村合併政策の結果、大山町は日田市の一地区に併合されていく。

'03

六本木ヒルズ「アーク都市塾」に講座開設

東京の新名所とも呼べる巨大複合施設:六本木ヒルズが誕生。オーナー企業:森ビルが1988年から創業者:森泰吉郎の強い意図の下、赤坂のアークヒルズで開講していたアカデミーヒルズ「アーク都市塾」も、このメインビルの49階に移転。ちょうどその頃、米倉誠一郎塾長(一橋大学イノベーションセンター教授)の依頼で中西が講座担当を開始。「ブランド戦略マネジメント」と題したコースには、下は19才の大学生から上は68才の社長までが受講生として参加。常に新しい試みを盛り込みながら進める講義は好評で、半期毎の講座は現在も継続中。

一方で、ここには他では得難い人的ネットワークが形成されていった。PAOSが築き上げてきた資料や経験・ノウハウなどを活かした人材育成の重要性について、真剣に考え始める良いきっかけを与えてくれた塾である。

企業の蘇生に美意識をと願い「産業再生機構」のVI開発

バブル経済崩壊以降のわが国を泥沼から救い出すべく設けらた時限付き機関「産業再生機構」のVIと、美的精度の高いステーショナリー等の開発を行った。
PAOSとしては、この機関を通し、再生していく各企業は経済的立ち直りもさることながら、「美的水準」も高いイメージマーケティングにも優れた会社であれ、との願いを込めて作業に取り組んだ。しかし残念ながらその期待が十分に活かされたとは思えず、企業の美的品質を生かした再生は道なお遠しの感が否めなかった。

'04

2004年〜
山口県「日本一元気カンパニープロジェクト」

地方自治体の公的プロジェクトとしては異例の2年間計画となった山口県「日本一元気カンパニープロジェクト」の依頼を受ける。これは、県下の中小企業にブランド戦略・デザイン戦略の意識を入れ活性化しようとの試みであった。開発導入希望として手の上がった20社の中から最終的には2社を選択。一つは、斜陽産業で低迷している日本酒業界の蔵元:下関酒造と、もう一つは120年の歴史を持つ山口の伝統産業ながら次代への展開を模索していた藤光蒲鉾工業であった。前者では、味もブランド&デザインもまったく新規に開発した「海響(かいきょう)」が好評を得て、東京にも進出し話題になる。これは「仕組みのデザイン」の典型的なプロジェクトであったと言える。後者の藤光蒲鉾工業のプロジェクトは、現在も継続中である。

「日本発:グッドデザイン&ブランド2004 in上海」展開催

展示会「日本発:グッドデザイン&ブランド2004 in上海」が、PAOS上海の協力のもと国立上海図書館展示室において開催された。ここでは日産/キヤノン/INAX/パイオニア/シーアイ化成等のデザイン開発を中心とする企業展示、および日本ジュウリーデザイナー協会/空想生活/Gマークの代表事例を展示。そして、WGDアーカイブスの中からセレクトした世界のグッドデザイン賞の作品パネル展示が、中国の若いデザイナーや学生たちの高い関心を集めた。
なお、日産の中村史郎デザイン本部長をメインレクチャラーに迎えたシンポジウムも話題を呼んだ。

早稲田大学のプロジェクトが次々に始動

早稲田大学の大橋一章先生(会津八一記念館長/元文学部長)のご紹介で、白井克彦総長にお目に掛かることとなり、それがきっかけで、早稲田大学創立125周年(2007年10月)に向けて「戦略デザイン学部(仮称)提案」のためのプロジェクト研究所(戦略デザイン研究所/所長:長沢伸也教授)が設けられ、客員教授に就任。
その後、専門大学院のアジア太平洋研究科 (ビジネススクール)や全学部の学生が受講できるオープン教育センターでの講義を引き受け、加えて理工学部を基幹・創造・先進理工学部の3つに分けていく教育革新プロジェクトへの参加、文学部に加え新たに誕生する新学部「文化構想学部」の名称提案、正門横に新設された早稲田ギャラリーおよびインフォメーションスクエアのデザイン、スポーツ科学部の学部VI開発、UI(ユニバーシティアイデンティティ)の推進など、次々とPAOSの設立母体であり中西の母校である早稲田大学のプロジェクトをお手伝いしていくこととなる。
2006年には要請を受けて中西が広報室参与に就任し、演劇博物館横に立派な参与室まで設けて頂いた。PAOSの経験や資料・ノウハウを活かした人材育成は、今後ここを拠点に早稲田大学に留まることなく、広くデザイン系、経営系の大学や学部もNetして展開されていくべく準備が進められている。

'05

2005年〜
理念重視CIで活性化「ルミネ」

1年かけて開発を進めてきた 「LUMINE’S IDEA」 が発表された。これはルミネ理念「The Life Value Presenter お客さまの思いの先をよみ、期待の先をみたす」と行動指針から構成されているが、価値体系の変革期に当たりますます理念ドリブンの施策が必要な時代になってきていることを痛感する。
最近の仕事において、高度情報通信型社会や成熟社会を前提としたプロジェクトは発展性があるが、弥縫策的に表層のデザインだけを近視眼的に求める仕事は余りうまく進んでいるとは言えない。「時代の先の価値を創る事業を展開するためには先ず理念から」と言えそうである。

'06

2006〜2007年
西新宿定点撮影35周年

1968年以来35年の長きにわたり続けてきた定点撮影のプロジェクトが、「西新宿定点撮影写真展:脈動する超高層都市 激変記録35年」なる映像写真展として陽の目を見ることとなり、1月に西新宿:パークハイアットビルの1Fギャラリーで開催された。本展は西新宿の淀橋浄水場跡地に、まず京王プラザホテルの建設が始まり、わが国初の超高層ビル街が形成されていく様を35年にわたり淡々と記録してきた成果の公開であった。
ふたを開けてみるとこの日本初の超高層都市形成の映像展が予想外に大人気を博し、週末にはまさにラッシュアワーのような活況を呈した。デザイナーや建築家といったプロの来場は予想外に少なく、いわゆる一般市民のみなさんがどっと押しかけてくださった。来場者は、衝撃的に次々と建っていく超高層ビルの様相と自分史を照らし合わせながら、一種の個々の心象現象として捉えられたようである。
寄せられたアンケートも膨大な数となり、強い要請に応える形で3月にアンコール展を開催するに到る。われわれが「記録のPAOS」として活動の基本に据えてきた、どのようなことでも極力丹念に記録を重ねていくという地道な作業の蓄積が、思わぬ大成果を上げてくれたのである。
やがて、これは出版社「ぎょうせい」より写真集「西新宿定点撮影:脈動する超高層都市激変記録35年」として刊行された。さらに次なる成果として、西新宿の主なビルのオーナー会社の協力連合が次代のこの街の発展を考えるために集う「西新宿街ぐるみプロジェクト」を生み出した。ここからの要請もあり、2007年2月16日(金)〜25日(日)に3度目の映像展とシンポジウムを開催いたしました。

※現在いくつかの興味深いプロジェクトが進行中ですが、公表が可能となった時点で順次開示して参ります。


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