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沿革 PAOS前史(1960年代)

  • PAOS前史(1960年代)
  • PAOS設立〜1970年代
  • 1980年代
  • 1990年代
  • 2000年代

「企業とは、経済機関であると同時に優れた文化機関でなければならない。売上げ・利益といった市場メカニズムに合致することは重要だが、社会や文化、環境など社会メカニズムにも一個の公的市民として貢献すべきである。加えて、自ら時代の新しい価値を創造し、自らのアイデンティティの確立と発展を考えていくべきである」
今から40余年前、PAOSはこの仮説と理想のもとに出発しました。言い換えれば、美意識や文化貢献意識に溢れた企業や社会づくりの具現化を変革の旗印とし、デザイン哲学の幅広い展開と普及を基盤・目標としてスタートした組織集団です。
むろん、こうした理想を60年代後半の高度成長型企業化社会の中で実現していくためには、まずは競争社会にある現実の企業経営において、拡デザイン発想と具現化方法論を通じて競争優位の実現を証明していかねばなりませんでした。PAOSの活動の沿革とは、まさにこうした理念と行動の継続と実証の歩みであり、これからもまだまだ続く道程であると言えるでしょう。その試行錯誤と苦闘の全てPAOS独自といえるチャレンジの流れをご紹介させていただきます。

PAOS前史(1960年代)

'60

1960年〜
早稲田大学「デザイン研究会」

PAOSの創業者:中西元男は、「デザイナーが担う役割も大切なものであるが、経営者に理解されるデザイン理論・採用されるデザイン手法の開発も重要なデザインの仕事である」と考え、その研究のため桑沢デザイン研究所を経て早稲田大学に入学。全学部から学生を集め「デザイン研究会」の活動を展開していく。

'62

「戦略デザイン学部設置への試案」

デザイン教育は総合大学においてこそ行われるべきであるとの発想に基づき、「早稲田大学デザイン学部設置への試案」を提案。「わが国の将来のために、デザインを理解し活用できる政治家・経営者・行政担当者・教育者等を育てよう」との主旨に基づく革新的な発想は、雑誌等にも取り上げられ話題を呼ぶ。

'64

初の著作「デザイン・ポリシー」刊行

日本最初のCI書「デザイン・ポリシー:企業イメージの形成」(浜口隆一・中西元男共著/美術出版)を刊行。わが国を代表する建築・デザイン評論家:浜口隆一先生の誘いを受け、当時、優れた表現デザインで著名な14社をドキュメントした、経営方針+デザインの実録書を上梓。

'66

「TDK Design Manual」制作

日本最初のブランド&デザイン・コントロール・マニュアルとなった「TDK Design Manual」を作成。東京電気化学工業(TDKの旧社名)は、当時、まだ知名度の低い中堅企業であった。その頃の日本では画期的であったマニュアルの内容を雑誌に発表するにあたり、この分野にDECOMAS(Design Coordination as A Management Strategy=経営戦略としてのデザイン統合)なる呼称を初めて用いた。TDKは、その後わが国で最初の英文社名採用企業となる。

デザインオフィス「UP Design」設立

中西元男が早稲田大学の後輩、小松紘行・北文雄・黒川禎三らとデザインオフィスを創業。高円寺の5階建てオンボロビルの屋上まで階段を上っていく事務所であったところから、「UP Design (アップ・デザイン)」と命名。当初は、創った当事者たちもこの会社が長続きするなどとはほとんど考えず一つの実験のつもりであった。

'68

「UP Design」予想外の好調

当時としては珍しく企画力や調査力に秀でたUP Designは予想を越えて発展し、青色申告に出かけた税務署の担当官から法人化を勧められ、株式会社化を考え始める。


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